April「チェウォン」が、元メンバー「イ・ヒョンジュ」への「グループ内いじめ疑惑」について、否定する内容の長文メッセージを公開しました。
チェウォンは17日、公式ファンカフェにメッセージを掲載。「事実に基づいて書いた文」とし、「ヒョンジュに聞きたい、どうして嘘をつくの?」「1日1日死にたいという思いと共に私が壊れています」と書かれています。
「まず、突然の議論で驚いたファンの方々に申し訳ないとお伝えしたい。ヒョンジュ側の主張は事実でないことを1つ1つ明らかにするために、悩んだ末にこの文を書くことになった。内容が多少長くても必ず最後まで読んでください」
「私は2012年11月8日に練習生生活を始めて、2015年8月24日にAprilというグループでデビューすることになりました。当時、KARAプロジェクトを共にしたソミンオンニをリーダーとして私とヒョンジュは、Aprilというチームに参加。2015年にはイェナ, ジンソル, ナウンが順番に、会社に入ってきた。こうして私たちは様々なテストを経て6人のメンバーで確定しました」
「デビューを準備していた当時、ヒョンジュはしばしば、あちこち体が痛いと言って、練習に苦労していた。必ず必要なレッスンがあっても参加しないのが常で、マネージャーさんたちもヒョンジュをケアするために多くの努力を尽くした。しかし、デビュー前に最も頑張らないといけない状況でも、ヒョンジュはいつも大変だと言いながら抜けていました。それでも私はヒョンジュが大変だと言うと、オンニとしてもっと気遣ってあげようとし、私が気遣ってあげた以上にヒョンジュも私の力になったので、私はヒョンジュを本当に親しい友達だと思った。悪意に満ちた巧妙に編集された映像じゃなくて、実際の各種映像を見ると、私とヒョンジュはいつも仲良しでした」
(「The Show」リハ不参加)
「しかし、デビューするやいなや、心配していたことが起こりました。2015年8月25日火曜日THE SHOWでデビューステージをした私たちは、いつもと変わらずに金曜日『ミュージックバンク』の日、美容室に行こうとしたら、ヒョンジュが突然姿を消したことに気づきました。私たちはヒョンジュがなぜ消えたのか全く分からず、まさかこんな重要なスケジュールに支障をきたすのではないかと心配し、その場所に留まるほかなかった。しかし、結局ドライリハーサル, カメラリハーサルが終わるまでヒョンジュは現れず、ヒョンジュなしで5人でステージを終えた後、私たちは不安に震えながらヒョンジュが帰ってくるのを待ちました」
「生放送前に何事もなかったかのように、ヒョンジュは『それでも生放送しないと』と言いながら控え室に戻ってきました。これにより、デビューしてから1週間も経たたない新人がドライリハーサルをパンクさせたのは初めてとして、私たちはとても無礼なガールズグループとしての烙印を押されてしまいました。ヒョンジュの行動はあまりにも突発的。チームのことをまったく考えていないヒョンジュの行動に驚いて悲しかったけど、それでも一度はこういうこともあると思っていたので、今後こんなことがないようにオンニとして、ヒョンジュをより特別に気遣って、私がもっと励ましていけばヒョンジュは大丈夫だと思っていました」
(練習)
「しかし、日増しにヒョンジュの行動はひどくなり、大変なダンス練習をしなければならない時は『急に耳鳴りがする』, 『膝が痛い』, 『手首が痛い』, 『足首が痛い』, 『頭が痛い』毎日痛いところができていった。自分がやりたいこととか、カメラが回っていたら、そういう素振りを見せなかった。やりたくないことや、ただ私たち同士の練習の時は体が痛いと言ってほとんど参加していません。舞台裏でみんな一緒に練習をしないヒョンジュの行動に疲れていったけど、ヒョンジュの主張のように仲間外れにした事実は、全くありません」
「『ティンカーベル』カムバック前の振り付けレッスンの時間にも、ヒョンジュはずっと横になっていて、10分聞いて退勤するのが日常でした。振り付けの先生も『ヒョンジュは練習に意欲がなくて疎かだ』と言いながら、ダンス映像を送ってあげるので、覚えてくるようにと言うと、ヒョンジュは家に帰りました。その時の私は色んなストレスを受けながらも耐えました。ヒョンジュを慰めながら、私のことも別にしなければならない状況でしたから。最年長と言いますが、私もその時20歳でした」
(携帯電話)
「私たちは会社の管理で、2015年のデビュー直前から2017年9月まで、個人の携帯がありませんでした。その間、私たちはチームフォンを使っていた。そのチームフォンは、折り畳みフォンで、6人で1つを使用。会社の方々とメンバーの直系家族の番号だけを保存することができました。1人当たり3分の通話制限もあり、通話記録を確認してこれに違反した場合はペナルティが与えられました」
「しかし、ヒョンジュはある時から1人で携帯を持ち歩いていた。私たちは祝日だけ実家に行くことができたが、ヒョンジュは実家から通いたいと要求して家から出勤・退勤をすることになりました。私たちはどうして会社がヒョンジュの望みを全部聞くのか分からなかった。会社はいつもヒョンジュをなだめ、ヒョンジュが望む条件に全部合わせてくれました。それでもヒョンジュはいつも大変だと言い、練習を引き続きサボりました」
「それでは、このような理由でヒョンジュをイジメたたんじゃないかと、言うかもしれません。しかし、むしろ私はヒョンジュをもっと気遣ってあげて励ましながらAprilを守ろうと努力しました。特に私がヒョンジュといつも2人で一緒だったので、ヒョンジュ1人がいじめられたというのは全く話になりません」
(キムパプ)
「ヒョンジュに対してどうすることもできない中、結局、最後の事件が起こりました。ヒョンジュ弟が書いたと主張する文章では『ヒョンジュの自動車の座席に、誰かが腐ったキムパプを置いた。それを片付けたヒョンジュは匂いがするので、香水をかけると、メンバー全員とマネージャーが匂いがすると怒り悪口を言った』と書いてありますが、それは事実ではありません」
「私はこの日の状況を鮮明に覚えています。この日は正確に「ティンカーベル」The Show音楽番組の放送日でした。待機中、車にキムパプとファンの方々がくださったサポートの食べ物があったんだけど、急に入ってきたヒョンジュはすぐ匂いがしたのか表情をしかめて、密閉された空間の中で香水をたくさん撒き散らした。後ろに座ったジンソル、イェナにまで香水が届く程でした」
「みんな頭が痛いと、ヒョンジュにやめてほしいと言うと、ヒョンジュは全メンバーに言い放つように鋭く攻撃的なことを言って声を荒らげました。私はいつも辛そうなヒョンジュを慰めてあげる立場だったけど、車外のファンの皆さんに聞こえるんじゃないかと心配になってヒョンジュに『ヒョンジュ、声を少し下げて、外に聞こえたらどうするの』と言いました。今までのヒョンジュの行動に私はいつもいい言葉だけ言って励ましてきて、私がヒョンジュに『やめて』と言ったのは、その日が最初でたった1回きりなので正確に覚えています。でもヒョンジュは私に怒り神経質な反応を見せました。ヒョンジュと私は仲が本当に良く、私はヒョンジュと本当に親しいと思っていた。いつもヒョンジュも私に『オンニのおかげでありがとう』と言って仲良く過ごしたのに、急にイライラして、私も少し驚いた状況でした」
(ショーチャンピオン、キャンセル)
「翌日、ショーチャンピオン音楽番組の日、ヒョンジュは現れませんでした。ヘアメイクを受けていた私たちにマネージャーさんが急に『今日音楽番組キャンセルになったよ、みんな宿所に行こう』と言った。私たちは理由を全く知らなかった。すべてが崩れたみたいで、今後私たちはどうなるのか、あれほど守ろうと努力していたAprilももう終わりなのか色々と考えました。音楽番組に来なかったその日、ヒョンジュが救急室に行ったということは、数ヵ月後に会社から伝えられ、その当時私たちは全然知りもしませんでした。ティンカーベルの活動中に出て行ったヒョンジュのせいで、私たちは人形コスチュームで急いで空いたステージを埋めないといけなかった。4人でのコンサートも準備しなければなりませんでした」
「私はヒョンジュが辛そうな時に崩れないようにもっと気遣い理解してあげていた。Aprilは私にとって諦められない大切なチャンスだったし、ヒョンジュも私にとってとても大切な友達であり、妹だったからです。そして私とヒョンジュだけではなく、私の母とヒョンジュの母もお互い親しくて頼る関係でした。私はその当時ヒョンジュと親しく、ヒョンジュの行動がだんだんひどくなり始める頃からはAprilというチームを守るために、そして他の後輩たちのためにもヒョンジュをそのまま放ってはおけないと思って、いつもそばでヒョンジュの話を聞いてあげ、より格別に気を使って、慰め応援しました。私の努力で少しでも変わることを、頑張ってくれることを努力することを願って。いつも痛くて辛いというヒョンジュに嫌なことは言ったことはないし、ヒョンジュと一番親しい友達で、オンニと妹の仲だと信じて疑いませんでした」
「ヒョンジュに聞きたいです。そのように理解して合わせようと努力したし、私にいつも『ありがたいオンニ』と言ったくせに、私を突き放して自分を苦しめたオンニに変身させた理由, いつもそばで自分を助けてくれて気遣ってくれて大変だった私をを裏切ったオンニにした理由, とんでもない嘘をでっち上げて話した理由, いったいどうしてそんな行動をするのか、私はあまりにも理解できなくて、この状況が本当に悔しくて最初はずっと死にたいということばかり考えていました」
「全く事実でないことをまるで事実のように広めながら、こんなに多くの人たちが本当に苦しんでいるのに、個人のYouTubeやインスタの活動を見たら最近幸せそうに見えます。もう元の場所に戻してほしいです。私も我慢できるだけ我慢したし、このように誤った方法で得た人気と関心は絶対永遠ではないということを分かってほしいです。真実は明らかになります」
「ヒョンジュ側の知人と主張する暴露文を読んで、私はすべての過去の記録を探すためにデビュー当初に使用した携帯の復旧、その当時の私の心理相談資料と親のメッセージ内容など復旧できることは本当に全部しました。私に対する根拠のない疑惑はすべて事実ではなく、今後資料とともに説明します」
「私はこの記憶をまた取り出したくもなかったし、探りたくもなかったです。1日1日死にたいという思いと共に私が壊れています。この悔しさは必ず晴らしたいので、私もこれ以上言葉を惜しみません」
「この間待てば真実が明らかになると信じてたけど、今はただじっと待っていてはならないという気がしました。ファンの皆さんも真実は知らなければならないので、事実に基づいて書いた文だから、長くても時間を作って読んでくださればありがたいです」
「以上です。長文お読み頂きありがとうございます」
(Aprilチェウォン「ヒョンジュ」リハサボった日付訂正「すべて答えること可能」)